ほうろうの歴史

古代エジプト、ツタンカーメン王の黄金マスクが実はほうろうの最初期のものと言われています。
これ以外にも紀元前から金属質にエナメル質ガラスを加工したものが作られており、金属とガラスを結びつける技術を持っていたことが証明されています。
エジプトで生まれたほうろうはその後、世界中へと伝播します。6世紀ビザンチン帝国で花開き11世 紀フランク王国に移り大輪の花を咲かせます。
一方シルクロードを旅して隋に伝わったほうろうは隋から朝鮮半島を経て東の果て日本にも上陸します。
日本に姿を現わしたのは飛鳥時代。
正倉院の十二陵鏡は奈良時代の作品と言われています。
江戸時代には桂離宮のふすまの引手などにも使われ、刀のツバ、印籠にまで用いられるようになりました。
しかし、依然、世界中で美的な工芸品としてのみ扱われ、実用品として使用されたのは近代になってからのことで、実用化の第一歩はイギリス、鉄のサビ止めとして応用されたのが始まりです。
その後、大量生産方式の確立などにより、実用品として次々と生産されるようになったのです。
日本においての実用品化は明治時代で1866年に桑名の大鍋屋広瀬与左衛門が鋳鉄ほうろう鍋をつくったのが最初で、その後には陸海軍の食器として使われるまでになりました。
創成期のころは粗悪品もあり、ほうろうといえば“はげ易い”というイメージが残ってしまいましたが、現在では衝撃に対する強度が増し品質も格段に進歩しました。
その為、今では活躍分野を広め、鍋や浴槽はもとより、タンク、化学機器、燃焼機器、建材、医療器具など、たくさんの分野で使われています。

*一般社団法人日本琺瑯工業会 HP資料より引用